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初めていらした方も、そうでない方もなかなか直接お話しをする機会が作れないのでこのようなカタチで私を知っていただけたらと思い、今まで送ってきた私の半生を赤裸々に綴りました。少し長いですが、読んでいただけたら嬉しいです。
私は1972年に愛知県で生まれました。私には年子の弟がいるのですが、弟は生まれた時にチアノーゼ症状がありほどなく「半年の知恵遅れ」と診断されたそうです。
私はモノごごろついた頃から「少し周りから特別視される弟のお姉ちゃん」になっていました。幸い大きな障がいを持った訳ではない弟は少し舌足らずではありましたが、普通学校の普通クラスに進学できました。
でも…よくイジメられていました。
私も強い方ではないので「守る」ことはできませんでしたが、弱い立場は分かるようになっていったと思います。そんな環境が私の「お姉さん気質」の原点なのかもしれません。
中学2年の夏の初め…その出来事は起こりました。ある朝目覚めると右肩と右の首がつながってしまったかのように腫れあがってしまったのです。
その日から中間テストが始まるのでとりあえず学校に登校し、テストが終わった後地元の病院へ行くと…即、入院。
数日後出た検査結果を見て…地元の病院では対応できないと名大病院へ紹介していただきました。
― 私の病名は小児性悪性リンパ腫 ―
その頃(今から24年前)はまだ悪性リンパ腫は60~65歳の男性に発症するいわゆる“成人病”という概念で、まさか14歳になる少女が発症するような症例は国内では前例がなく…だから名大病院に転院した後も教授回診の度に医師たちにベッドを囲まれて珍しがられていました。
現在、小児性悪性リンパ腫のお子さんは私が経験した抗がん剤治療の半分の計画(薬の量、期間)で完治も望める例が多くなったそうです。そんなカタチで私の経験が、現在同じ病気で苦しむ子供たちの治療に活かされているのであれば…
あの頃経験した辛い治療、多くのことを諦めた辛い想いは報われる…こんな経験ができた私の人生に感謝します。
中学2年から2年間の治療の為、普通高校への進学、その先の大学進学は諦めました…
いえ、がんばれませんでした。
健康も体力も学力も自信を無くし、それからの学業もおろそかになり進学した家政科高専。
ここで私は洋裁を学び、卒業後はグラフィックの専門学校に進学しました。
幼い頃から絵を描くことが好きだった私は、洋服を作ることよりも絵を描いていたかったのです。
でもここでも私は周りの人たちの描くイラストのすばらしさに圧倒されて…絵を描く仕事に就くことを諦めてしまうのです…
“体力のない、貧弱な自分”、”大好きな仕事を選ばず、別の道を選択する自分”…ずっと逃げてばかりの私はいつまでたっても自分に自信を持てないままでした。
そんな私はコンプレックスをずっと抱えたまま学生のころからお付き合いしていた彼と“適齢期が来たから”という理由で結婚します。
その結婚を決めた後に…弟がひき逃げ事故に遭ってしまいました。
4日間のこん睡状態から目覚めた弟に待ち受けた現実は…“大たい骨粉砕骨折”
その頃仕事場へ自転車で通っていた弟は背後から来た飲酒運転の4WD車に引かれ、一命は取り留めたものの、もう二度と自転車には乗れない体になってしまいました。
【私の身体も家庭事情も全て受け入れて結婚してくれる】 理解ある彼に私は感謝しながら結婚を決めたのでした。彼は周りの友人、家族から多くの信頼を受ける“お兄さん気質”な方でした。
私は人から信頼を受ける彼をとても尊敬していました。
でも彼は結婚してすぐに私に相談なく会社を立ち上げます…その頃から少し人が変わってしまったようでした…
元々お兄さん気質な彼はリーダータイプではありましたが…彼の周りで彼を支える友人、仕事仲間や家族にまで横暴な態度や言葉遣いを使うようになりました。
私の前でだけなら甘えてるんだと受け止められても、段々その発言は大きく、強く、きつくなり…
私を支えてくれる大切な友人、家族を彼はあまりにも耳をふさぎたくなるような表現で言い放つ…
耐えられませんでした。
お付き合いして12年間、私が気付けなかった彼の本質…
「彼を…これから信じていけない」
そう気づき、一人になることを選びました。
一人になった頃、昔からの友人に「表情が穏やかに、柔らかくなった」と言ってもらえて…やっと本質の自分に戻り、そんな自分に「これでよかったんだ」と自信が持てました。
そして一人になったことで改めて、今まで彼にいろいろな面で支えてもらっていたことや彼から教わったことに気づき、本当に感謝しました。
今の私がこうして頑張っていけるのは、きっと彼のそばで培われてきたものがベースにあるからなのです。
元々の私は好奇心旺盛で、決めたら動くのは早い方です。
心機一転!福岡という新しい街で新しい出会いの中、自分らしく過ごし始めました。
離婚した時に立てた「ウェディングドレスのオーダーショップを開く」という目標を叶える為にどうすればそうなれるのか、毎日を楽しみながら時間を惜しまず、自分の学びの時間として費やしていきました。
そんな月日が流れ…福岡ではドレスショップの夢を叶えられなかった為きっかけと出会いを求めて越した東京で、ご縁あって所属した結婚式演出会社。
チャペルアテンド(※チャペル内で挙式の流れをサポートしたり、ご新婦様のドレスをケアする役割)としてお仕事をさせていただいた時、チャペルに最初に入場された車椅子のお客様は結婚式場に常設されている「病院で見かけるのと同じタイプの車椅子」でいらっしゃいました。
こんなに素敵なチャペルにせっかくおしゃれしていらっしゃったのに
“車椅子だけ現実に引き戻されちゃうんだぁ…”
と残念に思ったのです。
実際に国内、国外の車椅子メーカーを調べてみると…私が思うような「女性らしいフェミニンなデザインの車椅子」はどこにもないのです。
― 無いのなら…作ってみようか! ―
…そんな気付きからFelicita 誕生秘話へ続くのです。
ドキュメント「余命一カ月の花嫁」や、ご病気を患いながらの結婚式、障がいと共に生きていらっしゃる方の結婚式…みなさんいろいろなご事情はあっても、
同じ「素敵な結婚式を夢見る花嫁様」なのです。
一生に一度の大切な思い出にドレスをこだわる気持ちや自分を磨いて結婚準備を楽しむ気持ちは女性ならみんな一緒なのです。
私はそんな花嫁様に一生に一度の大切な一日を「バリアフリーウェディングサポーター」として応援したい…
みなさんの素敵な一日がより素敵に思い出深く楽しんでもらいたいと願っております。
「あなたの伝えきれなかった想いを一緒にカタチにしていきましょうね」
2010年6月
dow-corporation 代表 才野未和子
【主な学歴・職歴】
西尾高等家政専門学校 卒業
東京デザイナー学院名古屋校(現:名古屋デザイナー学院 )
グラフィックデザイン専攻 グラフィックデザイン科 卒業
洋服の寸法直し、エプロン・ホームウエアメーカーにて企画デザイナーを経て、結婚
5年間の主婦生活と並行して、プロバイダー推進営業、洋服の寸法直し業、経理業務を従事
離婚を機に福岡に転居
2004年4月 九州ファッション専門学校 夜間服飾科 入学
並行して株式会社DCカード(現:三菱UFJニコス)にて法人営業を担当。
動きなく低迷状態だったシェアを5%UPへと導く。
大手競合会社(JCB)からヘッドハンティングのお誘いを受ける。
翌年学校を修了し、立体裁断を1年半勉強、習得
その後、株式会社住信・松下フィナンシャルサービス(現:住信・パナソニックフィナンシャルサービス㈱)
にてリフォームローン推進営業(法人)を担当
2008年10月 東京へ転居
株式会社エネクスクリーンパワーエナジー(伊藤忠グループ会社)にて新規開拓営業担当
結婚式演出会社株式会社ブライダルベルにてチャペルアテンド業務担当
主に新横浜、多摩、大宮の式場チャペルにて従事
2009年12月 株式会社dow-corporation 設立
【取得資格】
普通運転免許
AFT 色彩検定 3級
証券外務員Ⅱ種
住宅ローンアドバイザー
福祉用具専門相談員
【受賞歴】
女性起業塾 98期 MVP
第70回 かわさき起業家オーデション アイデア・シーズ市場 かわさきアイデア・シーズ賞